勇潔志

北方領土に関する事を投稿します

話し合いだけで解決した領土問題はたくさんある

「戦争をせず、話し合いだけで領土が返って来る事などありえない。」という意見をよく聞きます。


「そんな例は、世界の歴史に無い。」とまで言う人もいます。


しかし、それはウソです。


実際には、直接に武力を用いず、話し合いにより解決された領土問題や、国境線を画定した例はたくさんあります。


我が国の歴史だけでも、沖縄の本土復帰や千島樺太交換条約があります。


そもそも幕末期における外国との取り決めでは唯一の領土交渉を伴った日露和親条約は、話し合いによるものです。


沖縄の本土復帰以外は「占領されれた領土が返って来た」という例ではありませんが、このように、我が国の歴史だけを調べても話し合いで解決した複数の例があります。


外国の例ですと、記憶に新しい事で挙げれば、冷戦崩壊後の東欧諸国、中央アジア諸国が挙げられますし、なんといっても東西ドイツの件が挙げられます。
実際には、いきなり侵略して占領し続け、自国領として永続させるというのは稀な事です。


ソ連とその継承国ロシアにより北方領土の不法占拠が、史上稀に見る暴挙であり異常な事だと思われます。


ここに、ウィキペディアからの引用ですが、戦争に依らず話し合いで領土問題を解決した例を挙げます。
尚、ここに挙げる例は国際司法裁判所を利用せずに解決されたものだけではなく利用したものも含めています。
■ヨーロッパオーデル・ナイセ線(ドイツ・ポーランド):1950年のズゴジェレツ条約により暫定的に承認。1990年に国境線に関する最終確認条約により解決。
■ドイツ:1990年のベルリンの壁崩壊により後日、東ドイツが西ドイツに吸収される形で東西統一。
ロッコール島:イギリス領であり、アイルランドアイスランドが領有権を主張していたがイギリスが島としての主張を取り下げ、岩であると認めることによって紛争を解決。
トゥーズラ島ケルチ海峡に浮かぶ同島を巡り、ウクライナとロシアとの間にトゥーズラ岬の紛争と呼ばれる領土・領海問題が発生した。2005年にロシアが同島と海域がウクライナに所属することを認めて解決した。
■クリミア自治共和国:ロシアとウクライナの間で領有問題が発生。この問題自体は解決(ウクライナ内部の自治国家として成立認可)したが、クリミア・タタール人による独立要求の問題は解決されていない。
■オーランド諸島:元はスウェーデン領であったが、紆余曲折を経て1922年にフィンランドへの帰属が確定。島民らはスウェーデン帰属を強く訴えていたが、大幅な自治権が認められたため現状維持の意見が多数となる。スウェーデンへの復帰も認められている。
■スワン諸島:1856年にグアノ島法により、アメリカが領有した。1920年ホンジュラスが領有を主張し、1971年にアメリカはホンジュラスにこの島を譲渡した。
■サンアンドレス島とプロビデンシア島:コロンビアに属する島だがニカラグアが領有を主張していた。1991年にコロンビアの憲法改正により、ニカラグアは両島のコロンビアの統治権を認めた。
■アジアペドラ・ブランカ島(マレーシア名、バトゥ・プティ島)(PedraBranca):シンガポールとマレーシアが領有を主張していたが、2008年、国際司法裁判所シンガポールに帰属すると判断した。
南アメリカコーン諸島:カリブ海にあるニカラグアの島だが、1914年のブライアン・チャモロ条約により、アメリカが99年間の租借権を獲得した。しかし、何時しかアメリカは島を放置し、1971年にブライアン・チャモロ条約を破棄し、ニカラグアに返還した。
■休戦オマーン土侯国(イギリス保護国)とマスカット・オマーンの境界線問題:休戦オマーン側がアラブ首長国連邦(UAE)として独立することとなり、一応は決着をみた。但し、互いが内地で隣り合うサウジとの境界線は依然として未確定の状況。
■イエメン:冷戦崩壊の影響を受け、南北イエメンが統一。
■ラフハジュイマ:イラクサウジアラビアとの間にかつてあった中立地帯。
■ウジャ:イスラエルとエジプトとの間にかつてあった中立地帯。
ベトナム:1975年、北ベトナムに支援された南ベトナム解放民族戦線南ベトナムを武力制圧し、翌年南が北に吸収される形で南北統一。
■アフリカイフニとタルファヤ:モロッコ内にあるスペインの領土だったが、イフニは1969年に、タルファヤは1958年にモロッコへ返還された。
以上、ここに挙げただけでも多くの例があります。国際司法裁判所を利用した例ですと、もっと多くあります。

■特設仲裁裁判所
クリッパートン島事件」(フランス対メキシコ1931年判決)
常設仲裁裁判所
パルマス島事件」(アメリカ対オランダ1928年判決)
常設国際司法裁判所
「東部グリーンランド事件」(デンマークノルウェー1933年)
国際司法裁判所
マンキエ・エクレオ諸島事件」(イギリス対フランス、判決1953年)
「国境地区の主権に関する事件」(ベルギー対オランダ1959年)
プレア・ビヘア寺院事件」(カンボジア対タイ1962年)
「国境紛争事件」(ブルキナファソ対マリ1986年)
「陸地、島および海の境界紛争に関する事件」(エルサルバドルホンジュラス1992年)
「領土紛争事件」(リビア対チャド1994年)「カシキリ/セドゥドゥ島事件」(ボツワナナミビア1999年)
カタールバーレーンとの間の海洋境界画定及び領土問題に関する事件」(2001年)
カメルーン・ナイジェリア間の領土・海洋境界画定事件」(2002年)
リギタン島およびシパダン島の主権に関する事件」(インドネシア対マレーシア2002年)
「国境紛争事件」(ベニン対ニジェール2005年)
ニカラグアホンジュラスの間のカリブ海における領土及び海洋紛争」(2007年)
「ペドラブランカプラウバトゥプテ、中央岩及び南暗礁に対する主権」(マレーシア対シンガポール2008年)などです。

私は、北方四島の件では、国際司法裁判所への提訴も、米国の仲介も、いずれも用いるべきではないという考えを持っています。
国際司法裁判所は、よくわかっていない判事が形式的で簡単な数時間の審議を経て解決をしてしまいますので危険です。
仲介国は、双方のメンツを立てようとしますので、完全無欠な我が国の正義が全うされない可能性が高いと思われます。
やはり、日露間は話し合いができる状態ですし、日露間の事は日本とロシアだけで話しあって解決するべきです。しかも、一発勝負で、一本勝ちで決めるのが良いと思われます。
「他の国に例があっても、ロシアは返さない。ロシアが自国領として認識している土地を手放すなんて、そんな例など無い。」という人もいますが、これは明らかに歴史を無視したウソでして、ロシアも領土を返還した経歴を持っています。
東京財団がまとめた研究報告書によりますと次の通りです。
①ボルンホルム島:デンマーク領であるボルンホルム島(558平方キロメートル)島は、第二次世界大戦でドイツが降伏した直後にソ連軍が占拠した。1946年4月、ソ連は同島を返還した。
②旅順・大連地区:1945年8月9日から始まったソ連軍の「満州国」侵攻にともない、遼東半島先端に位置するこの地区がソ連軍の支配下に置かれた。1952年2月、中ソ両国は「旅順口基地の無償譲渡に関する最終議定書」を締結、ソ連軍は両地区から撤退した。
ポルカラ基地:1944年9月、フィンランドが降伏して以来、同基地(381平方キロメートル)はソ連軍が占拠し、引き続き租借していたが、1955年9月、ソ連はこれを返還した。
④中ロ両国は、2004年9月までに両国の最後に残された国境問題を、等分の原則で解決した。
⑤ロシアは2005年1月に、カザフスタンとの国境問題を解決した。
以上の例が挙げられています。
その他、最近ですと、ノルウェーとの間でバレンツ海の17万5千平方キロメートルの領海について等分分割で合意ています。
また、ウクライナとの間で係争地だった黒海のトゥズラ島海域の帰属をウクライナ側に認め、さらに隣接するケルチ海峡ウクライナ帰属を認めました。その代わりケルチ海峡の船舶通航は双方の共同管理となりました。
古くは、アラスカをアメリカ合衆国に売却した歴史もあります。
このように、ロシアが自国の領土、或いは占領地を手放した事がなく、今後もあり得ないというのは、ウソです。
仮に、今までに先例がなかったとしても、我が国の北方領土がその最初の例となれば良いだけです。
我が国は、他の事では、世界が驚く「世界初」を、これまでに数多く為してきました。
北方領土問題の解決は未だ成っていませんが、北方四島の寸土も譲らぬ完全復帰を成し遂げようとして、不可能等とという事はありえません。
未だに成し遂げられていないのは、我が国の政府の外交能力の欠如ばかりではなく、官僚のモラトリアム体質なども原因の一つです。
そして、国民一人一人が意識を持っていない事も原因の一つですが、「領土問題を解決するよりも、長引かせた方が「得」をする人が多くいる」というのも原因の一つです。
先例は既に存り、そして正当性は我が国の側にあります。
外交事情通や外交専門家、インテリジェンスの専門家の言う、ウソに惑わされずに、北方領土の早期完全復帰を成し遂げましょう。